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負け戦



花粉が舞い踊っているよ

アレルギーで春のよろこび的なものが

著しく低空飛行になってしまったの

もったいない気がする季節

負けてます











































































































音楽は身体性との関係が深い

というか深かったのではないか

そういう風に育ってきたはずなのではと思う

もともと身体に合わせて楽器もできてるだろうし

気持ちいいように

祈りとしても遊びとしても

その基本があって相反する価値も生まれただろう

などと考える







































































































最近民生ばっかりだけど

久しぶりに

踊りのことなど

音楽はラテン普通の裏のり

感じて踊りたいが

生まれ育ったそのままに感じると

わかってないのよ音楽が

計りがたい訳よ

しかしだからといって

理屈だけで考えるのは本末転倒だと思うの

もちろん海でつくる砂山のトンネルを

両側から掘っていくみたいに

思いつくきっかけを手掛かりに

考えたり練習したり変更したりするわけだけども

結局は間違えるかもしれなくても

間違えながら

感覚を育てるしかないのでは

理屈で踊るの気持ち悪い


























































































































































































































































































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