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用意されてたクッションの話



ひゃっほーな音楽を聴くと

音楽が大事になる

反省とか

真面目とか

じゃないんよねー

ただ大事にしたくなってて

ひとつの音をだすためにすることが

自動的に多くなったりする

影響されてる



今鳴っている音が

次の音を呼ぶ

それが連続して

音と音は絡み合って

蔦の成長を高速カメラでみるみたいに

世界をはしり

上に下にめぐるような

なんちゃってイメージ映像



「私たちは生きているのか?」 森博嗣

序盤に

ショックのようなものを受けたので

なんだか今ひとつ冷静に読めていないような気がする

でもまあそれはそれで

ということで感想をば



嫌なときは

なぜ嫌なのか考える

理由があるのか

その理由に価値があるか

誰にとっての価値なのか



脳は

私の意識や認識と呼ばれるものより

たぶん働き者

だから認識以上の動きを

身体がすることがあるんだろう

だから疑問

認識できないことを

データにできるのか

全てを測定することはできないじゃないか

スクワットのように

ひざを曲げる運動も

どの筋肉を使ってひざを曲げるかによって

だいぶ心持ちが違うもんだと思うのだよな

人は認識できない行動をとる

行動によってフィードバックされ

はじめて認識されたりする

などと



今回のショックは

受け入れられないことを十分に考慮して

セッティングされていた

まわりにクッションがいっぱいある感じ



本日はこれまでだな



















































































































































































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